ネコの波にのまれたい~子ネコ兄弟がやってきた~
店長です!
お知り合いやネコ友はすでにご存じだけど、我が家にはネコが9匹います。
親子ネコ3匹と暮らし始めてとても楽しく過ごしていた頃、夫からこんな言葉が。
「ネコを増やしてみないか?」
そんなのOKに決まってるじゃ~~~~~~~ん!!!
ということで、里親募集のお知らせを色々と見ていた店長の目に止まったのは、生後2か月位の子ネコ3兄弟。
なにしろキュ~ンと来てしまい、早速夫に見てもらう。
「3兄弟か・・・兄弟一緒に暮らしたらイイゼ!!!」
いや~~~~~~~っ夫超ハンサム発言♡
すでにいる3匹はもうだいぶ大きく元気に暮らしていて、しかも我が家は初めから多頭飼いでのスタート・「きちんと育てられるかしら・・・」なんて不安は1ミリも生まれず「超絶愛するゾ」の気持ちしかありませんでした。
また、先輩ネコとの相性も考えてみたんですが「この子達なら大丈夫」と妙な自信がありました。
そんな感じで早速里親募集先の方に連絡→OK→日程決定!!!!!!!!!!
兄弟でという申し出に「いいんですか!?助かります!」と喜んでもらい、早速子ネコのお迎え準備。
約束の日、募集先さんの不安そうな顔を見つつ、ちょっとだけ「あれ?」と感じることがありました。暗い。別れが辛いのかと思ったんだけど、なんだかちょっと違う。
とりあえず中に入ってもらい、かごから出てきたヨッチヨチの子ネコ3匹♡
いやあ~~~~~カワイイ!!!どの子もとてもカワイイ!!!
・・・が、なんだか子ネコらしい元気が足りない気がする・・・なんだか、なにか足りない気がする・・・これは、募集先さんが帰った後で理由が分かります。
親猫が子ネコを攻撃してこのままでは子ネコが危険、それが、今回里親に出す理由だったそうです。子ネコ自体はケガもしておらずかわいい盛りなので、きっと一生懸命募集先さんたちで守っていたのかなあと思いながら、しかし、うちのネコ達を見て「きっと大丈夫」と思ったそうで、よろしくお願いしますと帰っていきました。
さあ子ネコよ!ようこそお姉ちゃんのところへ!!!そんな気持ち満載で子ネコを見ると、違和感の原因がハッキリしました。
顔にあるべき全てのヒゲがありません。3匹ともです。まゆのあたりの毛も、なにもかも。
ネコは顔や足にあるヒゲ部分で周囲の感覚を確認しながら動きます。それが出来ないためなのか、なんとなく動きが乏しい状態でした。
なんでそんな事になっているのかわかりません。ただ一つ分かっているのは「親猫が出来る事じゃない、人がした事だ」ということ。
まだ2か月程度の小さな小さな子ネコ、顔面に鋏が近づいてきて怖くない訳ないよな・・・そんな事を思いつつ、なんとも複雑な気分でいたら・・・
子ネコがみんなで寄ってきた!!!
ああカワイイ・・・なんてカワイイ子達・・・
そして、そこに我が家で一番BIGな男の子・ポンちゃんがゆっくり来て、
子ネコたちの世話を始めた・・・・・・・・・!
その後、ポンちゃんは毎日毎日かいがいしく子ネコ3匹を大事に育ててくれました。
おかげで、あっという間に家にも先輩ネコにも慣れて、今では元気いっぱいの5歳児たちです。
ただ、いまだに女の人の高い声を耳にすると途端に隠れて、しばらくは体を固くして出てこれません。
うちに来る前にあった何かを、子ネコたちはどうやら忘れることができません。
でもいいんです、毎日毎日飽きることなくネコに愛情を注ぎ続ける店長と夫を優しいまなざしで見つめ、メチャクチャ甘えてくる姿を見て「怖い思いをしなくていい人間がいる・もう怖い思いをしなくていいんだ」と理解してくれていると思っています。
こうして一気に3匹増え、6匹のネコと暮らすようになった店長。後悔などしたことはありません。あの時あの子たちの目から「僕たちを普通に暮らせるところに連れて行って」という気持ちが出ていたのかもしれません。
それを感じたのかもしれない、感じることができて良かった・そう思っています。
オナゴから「ヒューマン」へ~店長は父ちゃんの子であることを誇りに思う~
店長です!台風でてんやわんやな気分でしたね、皆さんお変わりないでしょうか?
店長は望んで望んでやっと生まれた長女と聞きました。赤子の頃から何枚も撮ってくれた写真は可愛らしいアルバムに綺麗に何冊も収められていて、どれも両親の超笑顔に囲まれています。
思えばあんたはよく笑う赤子だったと聞きました。いつも笑っており、写真でもよく笑うので苦労なく撮れたそうです。
両親のみならず、親戚の皆さんにもとても可愛がられ、それが赤子時代の笑い顔とムッチリボディにも表れているかのようです。
可愛らしいベビー服から始まり、愛らしい柄や形のお洋服に代わり、七五三には振袖などを着せてもらい、まあ愛らしいお嬢さんね♡ってな感じで映っていて、その両側にはいい顔した両親の笑顔。それをどんな思いで作ってくれたり用意してくれたりしたのかなと思うと、胸に込み上げるものがあります。
幼稚園のお弁当箱はキャンディキャンディなどの女子用。可愛らしいアップリケのついた園児バッグやきんちゃくなど、それはマメに手作りしてくれる母ちゃん。
そんな母ちゃんの思いを知ってか知らずか、棒切れを拾い座頭市の物まねをするシブイ店長の幼少時代。
そう、はじめの頃は女子だったんですよ、確かにオナゴ枠にいたようなんですよ。
初めての補助付きの自転車は仮面ライダーでした。ブザーのところが仮面ライダーの顔で、押すと光る。
補助輪を外す練習をすることになり、父ちゃんと店長での特訓の日。
途中で派手に転び、膝の皮がベロンとなって血濡れている店長、「ははは、ヨロクソだなあ」と言いながら指導の手をゆるめぬ父ちゃん、そして痛みはどこへやら「ギャハハハハ!」とノリノリで練習に勤しむ店長。
きっと女子なので「傷でも残ったらどうしよう」的な事も頭をよぎっただろうけど、「人には乗り越えねばならん時がある・それが今だ!」っぽい感じで特訓は続き、とうとうミッションクリア!親子二人でニコニコしながら帰る夕暮れ時。
野球観戦にも結構連れて行ってくれました。埼玉にいたので巨人や「西武ライオンズ」の試合に。その時のお土産がライオンズのTシャツに野球帽。毎日木に登り、表でドッジボールに明け暮れ、公園の土の上でゴロゴロ転がりながら男子と遊ぶ、ちっともうちでおとなしくなどしない真っ黒な店長に、それはよく似合いました。
いくつになってもまったくオナゴらしさのかけらもなく育っていく店長、年頃になってもおしゃれもせず、女子関連の事には超疎いまま。そのおかげで「男とは、女とは」みたいな感情がなく、一人の人として相手を見ていた所があります。
また、両親も子供というよりは一人の人間として対応してくれていたのではないかと思います。自分で考え、選び、責任も自分でしっかり考える。そんな感じなので、反抗期すら来ません。
両親はオナゴ枠などはもうどうでもよいのだと思っていたのかもしれません。オナゴらしくあれと教えられたことも記憶もありません。
男だから、女だから、そんなことはきっと両親の考えにはなく、小さいながらも「一人の人間であれ」という事を思っていたのかもしれないなと思っています。
店長が九州の母ちゃんの里の長崎に里帰りしている時、仕事で一緒に来なかった父ちゃんが、なんと朝埼玉の家からマークⅡをかっ飛ばしてきたそうです。一体何事と思って母ちゃんが尋ねると「ようこがやけどしている夢を見た、俺が心配するからと気を使って黙っていてくれてるんじゃないかと思い、とにかく来てみた」と言い、無事にキャッキャしている店長をみて笑っていたそうです。
そんな父ちゃんはガンで逝きました。闘病期間中家にいる時は、トラックに乗る店長のためにでっかい弁当を毎日作ってくれました。おおきなおむすびには鮭、ウインナーに卵焼き。
父ちゃんはトラックに乗って、その後工場勤務に移り、その後事業を起こました。家に帰ればビールを飲みながら野球観戦する、一人の「家族を愛するいい父ちゃん」でした。
一度だけ、父ちゃんが超喜ぶプレゼントをしたことがあります。北島三郎の大ファンだったんだけど、店長のお知り合いが後援会の人で、サブちゃんの公演チケットと、なんと楽屋に招待してくれたんですよ。
闘病生活で来るのもキツかったかもしれないんだけど、サブちゃんに「お体をどうぞお大事に」と声を掛けてもらい、一緒に写真を撮ってくれて、それは亡くなるまで父ちゃんの宝物になりました。
店長がなにか失敗しても「ようこさんはヨロクソだなあ」なんて言いながら、ニッコニコしていました。怒って子供に言う事を聞かせることが一度もない人でした。
気付けば店長も父ちゃんと同じようなことをしています。トラックに乗り、のちに事業を始め・・・知らずに背中を見ていたのかもしれません。
逝った後に父ちゃんの私物整理をしていたら、家族のためにと細かく書いたレシピブックや日記、いつか取ろうと勉強していた船舶免許の本が出てきました。
ならば店長が取ろうと、船舶免許を取りに行きました。
私は本当に大事に、一人の人間として育ててもらったと、つくづく思います。
母ちゃんも年を取り、父ちゃんの分まで大事にしていこうと思っています。
この年になり、こんな店長でいられるのも両親の育て方によるものが大きいのかと感じます。
本来なら生きているうちに本人に伝えたかったんだけど、店長は本当に心から、父ちゃんの子であることを誇りに思う。
男女を超え、ヒューマンとして育ててくれてありがとう!!!
変な小部屋を作ってみたよ!~記念すべき第1回は勿論ネコ~
店長です!とうとうブログに手を出しました。
これでも今まで割と短めに短めにと心がけていた店長の趣味爆発の記事が、これからはモリモリ書けると思うと胸が高鳴ります!
ネコ・ガンプラ・エレクトーン・ライブ・音楽・本・時代劇その他諸々、店のイベントやライブ情報なども織り交ぜて、一体何から書こうかと思いつつ、何でも書いていこうと喜んでいるところです。
読んでくれるお優しい人がどれ位いらっしゃるかは全く未知の世界ですが、店長の頭の中に何が詰まっているのか興味を持たれたなら、どうぞお付き合いいただきたい!!
ということで、第一弾に何を書くかと言えばやはり!ネコ!!!
うちには9匹いて、初めに来たのは3匹。
ママネコとそのコネコ2匹は埼玉から飛行機で来ました。
母の家(店長の実家)にフラッと現れた美ネコ、そのまま住みだして一週間後になんと炬燵で予期せぬご出産。さすがに沢山は育てられぬと里親探しを始め、店長にも声がかかりました。
写真を見たらもう天使かな?って感じの美しいママネコに、これまたどこの天使かな?としか表現できぬ可愛らしい赤ちゃんネコが・・・
夫に話したら「親子一緒に育ててイコウゼ!!!」なんてハンサム発言を頂戴し、ハンサムウウウウウウと感激しつつ、めでたく店長宅に来ることになりました。
いよいよ九州に来る日、ネコを迎える準備は万端、いつでもどこからでもOKな状態で
いざ空港へ。
福岡空港にお出迎えに行くとなにやらとある場所にちょっとした人だかり。なんだろうと思っていたら
「あら・・・あらあ~!かわいい!!」
「なに?何匹ですか?・・・あらあ~!!!」なんて声が聞こえてくる。
もしやと思い行ってみたら「あら~久しぶり~」と母とネコ。
店長の母と母のネコと一緒に来たもんだから、空港には計5匹♡
二つのカゴに分かれてネコが!超会いたかったネコが!!!
いやあ・・・あの時はあまりのかわいらしさに涙が出た。
つぶらな瞳で店長を見つめるネコ達に「まあ可愛い♡初めまして・よく来たねぇ、待ってたよ~」などと声を掛けたらもうポロリポロリと涙が止まらない。
家についてカゴから出てきたときのあのヨッチヨチぶりときたら!なんとな~くそばに寄ってきて、母ネコももうあっという間にになついてくれて(これはきっと母が一緒だったからかも)盛大に抱っこ&撫でのループですよ。
あれから14年。その時のことを思い出すだけで胸が熱くなり涙腺が緩みます。みんな病気一つせず元気に育ってくれて、一体どこまでネコへの愛情は深まるものなんだろうと謎に思う位、愛する気持ちは強く深くなるばかり。
店長の周りにはネコを愛する通称「ネコ友」が沢山います。みんな大事に大事に育ててる。病気の子を一生懸命看病してる。保護したネコの幸せな場所を見つけようと猛烈に活動してる。
地球上に住む一員として、家族として友として、これからもネコと人は幸せな毎日をいい関係で過ごしていけると思っています。