店長の小部屋

店のイベントやライブ情報のほか、店長が普段気になっている諸々を気分よく書く場所です!

オナゴから「ヒューマン」へ~店長は父ちゃんの子であることを誇りに思う~

店長です!台風でてんやわんやな気分でしたね、皆さんお変わりないでしょうか?

 

店長は望んで望んでやっと生まれた長女と聞きました。赤子の頃から何枚も撮ってくれた写真は可愛らしいアルバムに綺麗に何冊も収められていて、どれも両親の超笑顔に囲まれています。

思えばあんたはよく笑う赤子だったと聞きました。いつも笑っており、写真でもよく笑うので苦労なく撮れたそうです。

両親のみならず、親戚の皆さんにもとても可愛がられ、それが赤子時代の笑い顔とムッチリボディにも表れているかのようです。

可愛らしいベビー服から始まり、愛らしい柄や形のお洋服に代わり、七五三には振袖などを着せてもらい、まあ愛らしいお嬢さんね♡ってな感じで映っていて、その両側にはいい顔した両親の笑顔。それをどんな思いで作ってくれたり用意してくれたりしたのかなと思うと、胸に込み上げるものがあります。

幼稚園のお弁当箱はキャンディキャンディなどの女子用。可愛らしいアップリケのついた園児バッグやきんちゃくなど、それはマメに手作りしてくれる母ちゃん。
そんな母ちゃんの思いを知ってか知らずか、棒切れを拾い座頭市の物まねをするシブイ店長の幼少時代。

 

そう、はじめの頃は女子だったんですよ、確かにオナゴ枠にいたようなんですよ。

 

初めての補助付きの自転車は仮面ライダーでした。ブザーのところが仮面ライダーの顔で、押すと光る。

補助輪を外す練習をすることになり、父ちゃんと店長での特訓の日。

途中で派手に転び、膝の皮がベロンとなって血濡れている店長、「ははは、ヨロクソだなあ」と言いながら指導の手をゆるめぬ父ちゃん、そして痛みはどこへやら「ギャハハハハ!」とノリノリで練習に勤しむ店長。

きっと女子なので「傷でも残ったらどうしよう」的な事も頭をよぎっただろうけど、「人には乗り越えねばならん時がある・それが今だ!」っぽい感じで特訓は続き、とうとうミッションクリア!親子二人でニコニコしながら帰る夕暮れ時。

 

野球観戦にも結構連れて行ってくれました。埼玉にいたので巨人や「西武ライオンズ」の試合に。その時のお土産がライオンズのTシャツに野球帽。毎日木に登り、表でドッジボールに明け暮れ、公園の土の上でゴロゴロ転がりながら男子と遊ぶ、ちっともうちでおとなしくなどしない真っ黒な店長に、それはよく似合いました。

 

いくつになってもまったくオナゴらしさのかけらもなく育っていく店長、年頃になってもおしゃれもせず、女子関連の事には超疎いまま。そのおかげで「男とは、女とは」みたいな感情がなく、一人の人として相手を見ていた所があります。

また、両親も子供というよりは一人の人間として対応してくれていたのではないかと思います。自分で考え、選び、責任も自分でしっかり考える。そんな感じなので、反抗期すら来ません。

 

両親はオナゴ枠などはもうどうでもよいのだと思っていたのかもしれません。オナゴらしくあれと教えられたことも記憶もありません。

男だから、女だから、そんなことはきっと両親の考えにはなく、小さいながらも「一人の人間であれ」という事を思っていたのかもしれないなと思っています。

 

店長が九州の母ちゃんの里の長崎に里帰りしている時、仕事で一緒に来なかった父ちゃんが、なんと朝埼玉の家からマークⅡをかっ飛ばしてきたそうです。一体何事と思って母ちゃんが尋ねると「ようこがやけどしている夢を見た、俺が心配するからと気を使って黙っていてくれてるんじゃないかと思い、とにかく来てみた」と言い、無事にキャッキャしている店長をみて笑っていたそうです。

 

そんな父ちゃんはガンで逝きました。闘病期間中家にいる時は、トラックに乗る店長のためにでっかい弁当を毎日作ってくれました。おおきなおむすびには鮭、ウインナーに卵焼き。

父ちゃんはトラックに乗って、その後工場勤務に移り、その後事業を起こました。家に帰ればビールを飲みながら野球観戦する、一人の「家族を愛するいい父ちゃん」でした。

一度だけ、父ちゃんが超喜ぶプレゼントをしたことがあります。北島三郎の大ファンだったんだけど、店長のお知り合いが後援会の人で、サブちゃんの公演チケットと、なんと楽屋に招待してくれたんですよ。

闘病生活で来るのもキツかったかもしれないんだけど、サブちゃんに「お体をどうぞお大事に」と声を掛けてもらい、一緒に写真を撮ってくれて、それは亡くなるまで父ちゃんの宝物になりました。

 

店長がなにか失敗しても「ようこさんはヨロクソだなあ」なんて言いながら、ニッコニコしていました。怒って子供に言う事を聞かせることが一度もない人でした。

気付けば店長も父ちゃんと同じようなことをしています。トラックに乗り、のちに事業を始め・・・知らずに背中を見ていたのかもしれません。

逝った後に父ちゃんの私物整理をしていたら、家族のためにと細かく書いたレシピブックや日記、いつか取ろうと勉強していた船舶免許の本が出てきました。

ならば店長が取ろうと、船舶免許を取りに行きました。

 

私は本当に大事に、一人の人間として育ててもらったと、つくづく思います。

母ちゃんも年を取り、父ちゃんの分まで大事にしていこうと思っています。

この年になり、こんな店長でいられるのも両親の育て方によるものが大きいのかと感じます。

本来なら生きているうちに本人に伝えたかったんだけど、店長は本当に心から、父ちゃんの子であることを誇りに思う。

男女を超え、ヒューマンとして育ててくれてありがとう!!!